江戸文化の中心!かの有名な遊郭「吉原」(Yoshiwara)の歴史…

日本最大級の遊郭

日本の政財界や著名人などもお忍びで利用すると言われる場所であり、関東随一の遊郭「吉原遊郭」。日本人でさえも一部の人にしか知られていないそこは観光客がこぞって集まる浅草雷門前から程近い場所にあり、そのエリアに足を踏み入れると一帯の異様な雰囲気に圧倒される事間違いなしです。今回は、あまり普段フォーカスされない分野の歴史に注目したいと思います。

吉原の歴史


その始まりは1617年(元和3年)、徳川家康(Tokugawa Ieyasu)が幕府を開いてから14年後と言われ、現在の東京・日本橋人形町に造られたのが始まりと言われています。その後1657年(明暦3年)の大火をきっかけに浅草へ強制的に移転させられ、今の場所に至ります。当時、店舗数はざっと270軒。これに対して遊女の方は最盛期には7000人を超え、その中で郭内で演じられる男と女のドラマは、あらゆる浮世絵や草子類によって世に伝えられ、江戸文化の中心として後世に語り継がれていったとされています。

しかし、その後、それほどまでに勢いのあった吉原遊郭も世間の評判、社会への影響、風評被害などにより、270軒あった店舗は約100軒、遊女は約900人にまで激減したといいます。それにも関わらず、なぜ今なお関東随一の遊郭として名を馳せ続けているのか。それは今の民間企業で言う所のいわゆる企業努力、、、まさにその賜物だったのです。一般企業でも営業戦略として、また、他社との差別化として様々な試みを行なっていますよね?当時の吉原でもその地で営業を存続させる為にありとあらゆる事を試みたと言われています。具体的にはどのような事を行っていったのでしょうか。

当時は珍しかった吉原の試み

まず、「建物を3階建ての洋館にし、遊女に洋装をさせる」、「舞台付きの6階建ての建物を新築する」などこれまでの遊郭のスタイルを大きく変え、遊郭挙げてのイメージ戦略にも力を入れ、今の原型となったと言われています。1875年(明治8年)に東京・金杉橋にそれまで使用したことがなかったガス灯を初めて街灯として用いられると、郭内全体にもガス灯を設置して、これまで人々が見たこのない「不夜城」を作り出し、吉原遊郭は大きな変貌を遂げることとなるのです。 そういった努力が実り、明治30年代後半には店舗数も200軒近くにまで回復し、遊女は3000人近くにまで回復したと言われています。

吉原周辺の名所

吉原神社

1872年(明治5年)吉原遊郭の鎮守として創建。かつて吉原遊郭に祀られていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社。

浄閑寺

1655年(明暦元年)開基。吉原で働いていた遊女たちが来世でも平穏な生活を約束された場所。2万5千人もの遊女たちが葬られている。

一葉記念館

作家である樋口一葉の代表作「たけくらべ」の舞台となった吉原界隈の地元住民の声によって1961年(昭和36年)5月12日に開館。

最後に

江戸文化の中心であった「吉原」を語る上で忘れてはいけない人物が2004年(平成16年)11月から新渡戸稲造(Nitobe Inazo)に代わり五千円紙幣の新デザインに採用された樋口一葉(Higuchi Ichiyo)です。樋口一葉(Higuchi Ichiyo)の代表作「たけくらべ」の題材は吉原の地での暮らしぶりが書かれた作品なのです。このような歴史上の人物にまで取り上げられる遊郭というのは他にあるでしょうか。色々な歴史を重ね、受け継ぎ、さまざまな紆余曲折を経て今の牙城を築いた「吉原遊郭」。是非、夜に風情ある浅草の大提灯を見た後、散歩がてら吉原の地に足を踏み入れて見てください。閑静な街中に突如現れる「不夜城」に言葉を失うことでしょう。

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