江戸総鎮守 神田明神

神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社です。

正式名称は「神田神社」。神田祭をおこなう神社として知られており、神田・日本橋(日本橋川以北)・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神となっております。

旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっており、また旧准勅祭社の東京十社の一社です。

人気アニメ「ラブライブ!」の聖地としても有名で、アニメーションのクレジットでは協力として名を連ねていますし、2015年の神田祭の際には作品とのコラボレーションによる授与品が販売されました。

ご祭神

一ノ宮に大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の3柱を祀っております。

歴史

社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのが始まりとされています。

神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称しました。

承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けました。

嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされました。

また、平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれております。

江戸時代、江戸城増築に伴い慶長8年に神田台へ、さらに元和2年(1616年)に現在地へ遷座し、江戸総鎮守として尊崇されました。

神田祭は江戸三大祭りの一つです。山車は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、「天下祭」と言われました。

当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少しました。

「神田囃子」は東京都の無形民俗文化財に指定されています。

江戸初期に豪華な桃山風社殿が、天明2年(1782年)には権現造の社殿が造営されましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失しました。

その後、当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建されたことから、1945年(昭和20年)の東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにもかかわらず本殿・拝殿などは焼失を免れたのでした。

江戸時代には神田明神と名乗り、周辺の町名にも神田明神を冠したものが多くあったが、明治に入って神社が国家の管理下にはいると、明治元年(1868年)准勅祭社に指定され、その後、府社に列せられ、明治4年(1872年)に正式の社号が「神田神社」に改められました。

1874年(明治7年)、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請されました。

平将門神霊は境内摂社に遷されましたが、戦後1984年(昭和59年)になって本社祭神に復帰しました。

また、野村胡堂の代表作『銭形平次 捕物控』の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がありますが、銭形平次は実は架空の人物です。

さあ、如何だったでしょうか?魅力がたくさんの神田明神に、ぜひ足を運んでみて下さい。

それでは皆様、御機嫌よう。

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